AI時代は神話を残すのか・

AIエージェントを調べてみた。
これからの時代はAIを使えないと話にならないことが多いだろう。
多分、始めるには遅いくらいだと言ったところで自分の遅さにがっかりもしたがいつものことだ。
いろいろと調べて今日たどり着いたのは、
「学ばせる型」というものと「自分」
その両方が必要だとということだ。
自分というものを、今後AIに学ばせるとき、
「これが自分です」と差し出せるものがないと学ばせることはできない(当然だ。)
他の寄せ集めで、それっぽいものを作ることも
できるだろうが、それは美しくない。
お下がりを使うのは子ども時代で十分ではないか。
結局魂が狂気にあふれたものを私は見たいし残ると思っている。
なんとなくでざっくばらんに選んだ他人の狂気を残すことに面白みがあるはずもない。
狂気をAIが学んで出力した時に、果たして狂気は残るのだろうか。
「子曰く」
孔子の言葉は自分で残したものではない。
彼の言葉を残したい弟子たちが残したのだ。
それとAI学習は、とても似ている気がする。
結局は、人の心に生き残るものだけが残るのだ。
ギリシャ神話では語り継がれること=神話だ。
誰にも語り継がれなかったものは存在しないのと同じになる。
神様が消えて人間が残ったように。
人が消えても、AIに残された人間の神話だけが残る。
そんな世界が来るのかもしれない。
ちなみにこのブログは手書きの日記を書き起こしてもらって追記しました。
手で打つよりも手書きしたほうが私は好きなことがかけるし早いのでありがたい。
あまりにも逆張りな使い方な気がするが、良い気がする。
だって文字を書くのは楽しい。

